海外で生活し、英語を身につけるなかで「言語」について感じたこと

社員コラム | 2019-06-12

(社員コラム:長尾)
僕は昨年の12月にシンクロにジョインするまで、海外で半年ほど生活をしていた。

当時24歳。次のアテもないまま前職を退職し、たまたま見つけたシンガポールでのワーホリビザの切符を片手に、バックパックを背負い世界に飛び出した。

シンガポールでは2ヵ月間現地の広告代理店にて働いていたが、そこで大きな壁になったのは「英語」であった。

シンガポールで働く前の語学留学や実際に働く中で、発音や思考など「英語」に対して感じたことは多くある。その中でも「言語」そのものについて感じたことについて、ここではまとめたいと思う。

「言語とは世界を描写する手段である。」

あたりまえのことだが、重要なことだと僕は思う。この世界はさまざまな概念やもの、シーンや感情に溢れている。それらを表現する手段が言語であり、言語の違いとはそれらを描写する手法の違いだと思う。0と1で織りなされる情報信号を複数のコンピューター言語で描写できるように。

この考えに則ったとき、英語などの他の言語を学ぶこととは「特定の”なにか”を表現する別の手法を学ぶ」ことだと言えるかもしれない。事実、語学学校で学ぶことといえば時事・教育などの「特定のシーン」に紐付いた表現方法だった。

また、「なにか新しいことを学ぶ」ということは、新たな言語表現の獲得と言えるかもしれない。

研究者の友人と話すことがしばしばある。

研究内容を教えてもらうこともあるが、内容は正直よく分からない。使われる言葉の問題だろう。おそらくそこには彼の住む世界での共通言語があり、もし僕が彼らの表現を理解すれば、僕は彼らの話すことを正しく理解できるのだろう。

シンクロに入社してから、早半年。

中国での忘年会で、これまでに見たことのないものに触れること。人生ではじめて見る契約書をレビューすること。本質的なマーケティングの考え方を知ること。日々、あたらしい世界を知り、そこで使われる言語を学ぶことがとても多い。

未知の世界は最高だ。この世界は広くて、面白くて、温かいこと、そして自分が無知な存在であることを言葉を通じて教えてくれる。

新しい表現を得る過程は苦労ばかりだ。でも愛してやまない。どうしようもないが、これもシンクロらしさなのかもしれない。

(長尾紀宏)

       

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