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【マーケター対談】サッカーが秘める価値を活かして企業のアジア戦略を後押し ―Jリーグのアジア戦略立ち上げ秘話

弊社代表西井は、Jリーグデジタルのスーパーバイザーを務めているほか、神奈川県社会人サッカーリーグ2部所属の鎌倉インターナショナル株式会社のチーフデジタルオフィサーでもあります。

今回はそんな西井の大好きなサッカーに関する対談を、Jリーグで国際戦略の推進やオフィシャルパートナーとの向き合いをしている山下修作さんと行い、山下さんがJリーグに関わるようになったきっかけや、アジア戦略の立ち上げ、世界におけるJリーグの立ち位置などのお話を伺いました。西井と山下さんは同い年で、「サッカー」「海外」という共通項も多く、バックパッカー体験から目指す世界観など、多岐にわたる話題で盛り上がりました。

山下修作氏
公益社団法人日本プロサッカーリーグ パートナー事業部長/国際部長

1975年埼玉県生まれ。北海道大学大学院農学研究科卒業後、2001年リクルートに入社。営業、編集、企画、新規事業立ち上げ、WEBマーケティング等に携わる。2004年株式会社SEA Global取締役就任。2012年Jリーグアジア戦略室室長としてアジアを中心に国際戦略を展開。2017年4月株式会社Jリーグマーケティング専務執行役員就任。2019年1月より現職。

「感動に寄り添う仕事を」日韓W杯をきっかけにサッカーを仕事にしたいと思った

―― はじめに、山下さんの経歴や現在の仕事内容をお話いただけますか。

  • 山下さんは、Facebookとかを拝見していて、頻繁にいろんな国に行っているイメージがあります。
  • 最近は国内のパートナ企業を担当しているので、海外へ行くことは少なくなりましたけどね。もともと海外へ行くのも好きだし、サッカーと旅行という自分の二大趣味が仕事になっている感じです。
  • 僕もそうだから、僕達は本当に似てるんだよなあ。しかも、同い年ですよね?
  • そうなんですよ、1975年生まれです。経歴も少し似ていて、千葉大工学部を中退後、北海道大学農学部を卒業し、大学院を出ています。サッカーは6歳の頃から続けていて、大学でもサッカー部に入っていました。さらに、西井さんもだと思いますが、僕も大学入学以降はバックパッカーとして海外にしょっちゅう行っていましたね。
  • 似てますねー! 僕も国立大の理系で、大学院を出ていて、当時から頻繁に海外に行っていて…。旅行記をインターネット上に書いて、本を出版しているところも同じです。今まで出会ってこなかったのが不思議なくらい(笑)。
  • 本当に(笑)。大学院時代は特に将来の夢もなかったので、とりあえず社会人になってからやりたいことを見つけようと思い、就職試験を受けていた会社の中で一番おもしろそうだったリクルートに入社しました。
  • リクルート時代は、何をされていたんですか?
  • 中古車雑誌カーセンサーの営業や編集、新規事業の立ち上げをやって、その後AB-ROAD(エイビーロード)という海外旅行の情報雑誌のWeb関係を担当していました。そんな中で、転機となったのが2002年の日韓共催FIFAワールドカップです。日本全国がものすごく盛り上がっているのを体感して、「こういう感動に寄り添う仕事がしたい」と思い、リクルートの先輩が作った株式会社SEA Globalにジョインしました。
  • どういった会社を?
  • 基本はサッカーを軸として、スポーツに関わるさまざまな事業を。例えば、JクラブのモバイルサイトやWebサイトの運営をしたり、フットサル場を建てたり、クラブに強化部長を派遣したり、全国の高校野球部員向けフリーペーパーを発行したりと幅広い感じでした。メンバーは元リクルートの先輩と元Jリーガー達でした。
  • 設立したのは、いつ頃でしたか?
  • 設立は2003年7月です。私がジョインしたのは2004年の10月からです。リクルートは兼業OKだったので最初のうちは役員として入って、2005年1月にはリクルートを退職しました。僕がJリーグに関わるようになったのは同年の4月からで、業務委託としてJリーグのWebサイト運営やプロモーションを担当するようになりました。
    当時は、Jクラブのサポーターの取材で全国を周ったり、日本代表サポーターに密着する企画で、弾丸ツアーの密着レポートを書いたり…。
  • いいなあ、その仕事やりたいなあ(笑)。
  • そんな感じで2005年よりSEA Globalから出向でJリーグにお世話になっていましたが、2014年4月にJリーグへ転籍します。
    籍を移したきっかけは、Jリーグが海外戦略に本腰を入れ、リーグが掲げる5つの重要戦略のひとつにすることになったからです。

「Jリーグはまだいろんな価値を秘めている」その想いからアジア戦略立ち上げに尽力

―― Jリーグが海外展開に本腰を入れるようになったのは、どのような経緯だったのでしょうか?

  • 僕は2010年頃から将来的な成長のことを考えると「Jリーグは海外展開をしないとまずい」と考えはじめていて、それを上の人達にも伝え、了承をもらって2011年4月からアジア戦略を担当させてもらっていました。その取り組みが、可能性が見えてきたということでJリーグが本格的に重要戦略として展開していくことになって。
  • どうしてまた、アジアだったんですか?
  • リーマンショックの後、リーグやクラブのスポンサー収入が厳しかった時期に、当時お世話になっていたJリーグメディアプロモーションの社長から「各クラブに5千万円ぐらい入るような新規事業を考えてよ」と言われて、そこで考えたのがアジア戦略でした。当時、日本はいつまでもリーマンショックを引きずっているけれど、タイとかに行くと、もうそんなことはすっかり忘れて勢いを取り戻している感じがして。アジアには絶対チャンスがあるんじゃないかと思って、Jリーグが培ってきたノウハウを武器に、タイリーグなどアジア各国リーグにコンサルをして稼ぎましょう、と。これまで誰もやっていないことだったので、構想を話をしたときは、突拍子もなさすぎて理解されませんでした…(笑)。

――最初は取り合ってもらえなかったところから、どうやってアジア戦略の重要性を伝えていったんでしょう?

  • まず、自分がタイリーグを実際に見たことがないのにタイリーグにコンサルしようと話をしても説得力がないよなと思ったので「じゃあ、実際に観に行こう!」と。プライベートで行くと遊んでいると思われるので(笑)、仕事をつくって。当時SNSを使ったプロモーションも担当していたので、その企画のひとつとして全国のサポーターから着なくなったユニフォームを寄付してもらって、それをカンボジアの子ども達に届ける企画を立てました。当時はカンボジアへは直行便がなかったので、タイでトランジットする必要があり、カンボジアでユニフォームを子どもたちに配ったあと、帰国途中でタイで数日間トランジットをしてタイリーグを見にいき、実際の現場ではどういうことが起きているのか、どういう人たちが見に来てるのかなどを見ることにしました。これが2011年1月の話です。
    ただ、この企画もなかなか上手くいかなくて……。
  • 何かあったんですか?
  • まず、SNSを通じて呼びかけたら、サポーターの皆さまから善意のユニフォームが451枚も集まったんです。ただ、カンボジアでユニフォームを子どもたちに配る受け入れ先がなかなか見つからず……。ようやく受け入れてくれる小学校が決まっても、一人で451枚のユニフォームを持って行こうとしたら、飛行機に乗る際の荷物の超過料金が28万円と言われ、企画趣旨などを熱心に説明し、何とか免除してもらえました。
    またそれだけ大量のユニフォームを持って行くということで税関で引っかかる可能性があると言われたので税関を通してもらうために事前に日本サッカー協会からカンボジアサッカー協会に連絡してもらったら、話がどこかで間違って伝わったようでカンボジアの人達は日本からサッカー協会偉い人が来ると思ったみたいで、着いたら赤絨毯が敷いてあり、現地の日本大使館の人や軍隊が並んでて…。僕は平社員ですし、極力荷物を減らすためにビーサンに短パン姿だったんです…(笑)。
  • それは焦りますね……。間違いなく「サッカー協会会長が来る!」ぐらいの勢いで出迎えられて(笑)。
  • そんなこんなで、結果的にはユニフォームをカンボジアの電気ガス水道のない村のトローバイ小学校に届けられたんですが、受け取ってくれた子ども達がとても喜んで、いい笑顔を見せてくれたんです。サポーターの皆さんが大切にしているユニフォームですが、日本ではクローゼットにしまわれているものが、場所を変えるとこんなにも子どもたちの笑顔につながることになるのかと…。その時に、Jリーグってまだいろんな価値を秘めているんだなと実感しました。
    その想いを胸にタイリーグを観戦し、選手に話を聞いたり勝手に取材をしたりして企画書を書いて、帰国後Jリーグに出したら「そこまで力技で進めているなら考えてみるか」となって。それが、アジア戦略が立ち上がった経緯ですね。
  • 突破力と行動力が半端ないですよね。やっぱりそこは、バックパッカーの経験が生きているような気がするなあ。
  • そうですね。若い頃の多感な時期に、アジアを周っていろいろなことを経験したからかもしれません。特に海外とやり取りをする場合は、相手国の事情もなんとなく把握できているから期待値を上げ過ぎずに対応できるので、その点は旅の経験が生きていると感じます。当日にならないとアポの時間が決まらないとか(笑)。
  • あまり深く考えずに「なんとかなるだろう」みたいな気持ちは、バックパッカー経験者には特にありますよね。わかるなあ。
  • あと、辛い状況は「後でネタになる!」と思うので、前向きに取り組めるのかもしれません(笑)。バックパッカーって「なんとかなるだろう」みたいな気持ちもありつつ「なんとかする!」という気持ちがあると思うんですよね。この「なんとかする!」っていうバックパッカー時代の経験は仕事に活きている気がします。
  • それは間違いないですね! うちの社員にもよく伝えているのですが「辛くないと後からおもしろかったと思えないよ」って(笑)。楽にできることは誰でもやりますし、困難があるからこそ何かを残せるというか。

「ノウハウ売るの、やめましょう!」コンサルではなくマッチングへ

――2011年にカンボジアにユニフォームを持って行った後から、アジア戦略が動き出したんですか?

  • まずは2011年4月にJリーグ内に新規事業開発プロジェクトとして立ち上がって、海外へ調査に行き始めました。ただ、平社員である自分がアジア各国に行っても、現地で対応してくれる人が財界のトップ、大臣、皇太子とかそういうクラスの方々ばかりで。「Jリーグの人が来る=何か情報が得られるのでは」と思われるみたいで、物凄いVIPが出てくるんですよ。
    そういう状況を見る中で、最初は各国にノウハウを売って1カ国3億円で売って10ヵ国で30億円の売上なんて計算をしていましたが、途中で「もうノウハウ売るのやめましょう!」とJリーグに提案しました(笑)。

――ノウハウを売ろうと提案した山下さんが、「売るのをやめましょう」と言ってきたら驚きますね(笑)。

  • 「いまさら何を言ってるの?」という空気は流れましたが(笑)、ノウハウを販売するのではなく、アジア各国のVIPとのネットワークをJリーグやJクラブのスポンサー企業に紹介することを提案しました。スポンサーの海外進出を促進した方が日本全体の利益にもなるし、長い目で見たらそちらの方がJリーグやJクラブにとってもプラスになるはず。結果的に、ノウハウは無償で提供する代わりにビジネスパートナーのマッチングをする方向になりました。
  • ちなみに、Jリーグがこうやってビジネスパートナーのマッチングをしていること、スポンサー企業にも広く知れ渡っているんでしょうか?
  • おそらく「なんとなく知っている」というスポンサーが大半です。一方で、積極的に取り組んでいるクラブのスポンサーは認知してくれていると思います。
    例えば、北海道コンサドーレ札幌が2017年にガリガリ君の赤城乳業株式会社とアジアプロモーションパートナー契約を締結したのですが、これはタイでPRすることが目的でした。コンサドーレで獲得したタイのエース・チャナティップ選手の影響で、タイでのガリガリ君の認知度も上がり、かなり売れていると聞いてます。
  • チャナティップ選手は、日本におけるキングカズ(三浦知良選手)のような、タイでは人気のある選手ですよね。彼をガリガリ君の広告や販促で起用した、と。
  • タイのお店のアイスケースにチャナティップ選手が写っている広告があるだけで、興味を持ってもらえるんですよね。これはスポンサー企業の海外展開における成功例のひとつだと思います。
  • もっとスポンサー企業に対して、Jリーグがビジネスパートナーのマッチングや海外展開支援をしているという認知を広めていけるといいですよね。サッカーというツールを使って日本を海外に進出させることは大事だと思うし、サッカー自体がもっている力はまだまだ有効活用できると感じます。

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