2023年末、冒険家の石川仁さんが率いるサハラ砂漠を歩く旅に、シンクロメンバー6人が参加し、ラクダとともに100kmを歩ききりました。
シンクロからの参加メンバーのうち、久保と原の2人は比較的旅の経験が少ないものの、2人ともこの旅への参加は「即決」したと言います。
そこで、石川さんと、久保、原の3人にインタビューを実施。石川さんがこれまで冒険家として見てきた世界について聞くとともに、今回のサハラ旅がどのようなものになったのか、久保と原にはこの旅を通してどのような変化を感じたのかなどを振り返ってもらいました。
Column
コラム
【冒険家・石川仁さんインタビュー】人生が変わる、サハラ砂漠を100km歩く旅。1人じゃできない感動を求めて
石川さんが「冒険家」になるまで。人生が180度変わったサハラ砂漠
― 仁さんは、「冒険家」「探検家」「葦船航海士」という肩書きをお持ちですが、これまでの活動について、旅を軸に教えてください。
石川
大学1年生の20歳のときに初めて海外旅行に行き、そこから大学3年まで、バックパッカーとしてアメリカ、ヨーロッパ、インド、オーストラリア、ケニア、タンザニアを周りました。しかし、何だか物足りない気持ちがあり、あるときそれが一気に爆発して、大学を1年間休学してサハラ砂漠に行き、ラクダと1人で2700キロを歩きました。
サハラ砂漠を歩いて、僕の人生観は全く違うものに変わりました。これまで学んできた常識や人生の物差しが全て壊れ、みんなと同じように就職しなければいけない、社会からはみ出てはいけないといった考えが全くなくなったんです。そして、自分自身が本当にやりたい納得のいく人生を生きようと思うようになりました。
日本に戻ってからは、大学だけは卒業しようと思い、1年間淡々と授業に出ました。無事に卒業すると、灼熱の砂漠を体験したので対照的な極寒のアラスカに行き、クジラ漁の手伝いをしながら、先住民の人たちと一緒に暮らしました。そして一旦帰国しお金をためて帰りのチケットもプランも持たずに出発するという、憧れの帰る予定のない旅をスタートしました。
地球上の「極地」を求めて。「葦船」との出会い
石川
今回は北米から中米へ陸路を辿って南米を目指しました。と言うのも、次の冒険はジャングルだと決めていたのです。コロンビアからベネズエラまで1000キロを、ジャングルの原住民から50ドルで買い取った中古の丸木舟で、2カ月かけて川下りをしました。砂漠やアラスカ、ジャングルなど、人間の生活が大変な極地には、先住民たちが築いてきた昔ながらの文化が残っています。自然とともにある文化に触れることに魅力を感じていた僕は、次に高地に行くことにしました。
訪れたのはペルーのアンデス山脈。そこで、クスコ、マチュピチュの観光ガイドとしてお金を稼ぎながら、チチカカ湖を一周しました。そのときに使ったのが、葦船です。葦船は先住民が使っている乗り物なのですが、ラクダや丸木舟のように先住民の移動手段で旅をすると、警戒心がなくなり先住民の文化に馴染みやすくなるんです。
それまではいつも単独でしたがチチカカ湖では初めて5人の仲間たちと周り、8mの葦船で半年かけて約1,000kmの湖のほとんどの村に立ち寄りました。
僕たちは「お祭り隊」というグループ名をつけ、旅芸人のように手品やパントマイム、音楽を披露してその代わりに食べ物と寝る場所を提供してもらいました。それぞれの村に数日滞在し、生活の中から彼らの文化を学ぶんです。
チチカカ湖の道中、僕が冒険家として次のステップに進むきっかけとなる、スペイン人の探検家キティン・ムニョスとの出会いもありました。彼は30mの葦船で太平洋横断を計画していて、出会ったその日に直接参加したいとプレゼンし、なんとプロジェクトに参加できることになったんです。ここからプロの探検家として葦船人生を歩むことになりました。そして、大型の葦船で太平洋、大西洋を延べ1万3,000キロを航海しました。
シンクロメンバーとサハラの旅へ。「今までとは違う旅になる」と予感した
―― ここからは、今回のサハラ砂漠の旅についてお話を聞ければと思います。シンクロとの繋がりは、代表の西井との出会いが最初でしたね。
石川
西井さんが、僕のクラウドファンディングを支援してくれたことがきっかけでしたね。その報告会で西井さんに毎年やっているサハラツアーの話をすると、できたら一度行ってみたいと言ってくれました。
―― 仁さんは、過去にも何度かサハラ砂漠を歩くツアーを実施して、引率をされているんですよね。
石川
そうですね。シンクロメンバーと行ったのが6回目でした。でも、これまでは観光旅行しかしたことのない人たちが中心だったので、今回はバックパッカーのつわものたちが集まると聞いて、何だか違う旅になりそうな予感がしていましたね。
―― 旅の経験値に関わらず、砂漠のロマンに惹かれる人が多いのでしょうか。
石川
不思議なもので、サハラ砂漠にはみんな憧れて行きたい気持ちは誰もがあります。ただ実際にいく人はその場で即決する人がほとんどです。悩んでる人は結局いくことができないことが多いですね。
―― そうなんですね。実は、今回参加した久保や原は、シンクロメンバーの中では旅の経験が少ないのですが、2人は最初サハラ砂漠の話を聞いてどうでしたか。
原
絶対に行く、と思いました。サハラ砂漠なんて、一生に何回行けるかわかりませんからね。
久保
僕も、サハラ砂漠というワードだけで行くって決めました。僕は小説を読むのですが、サハラ砂漠が舞台になっていることがすごく多いんです。ゲームにも砂漠のシチュエーションは絶対に出てくるので、ぜひ行ってみたいと思いましたね。
関係性のパイプを通して喜びが伝わる。1人じゃできない感動があった
―― そして、12月末にシンクロメンバーの砂漠の旅が実現したわけですね。
石川
多いときは1日に20キロ以上歩きましたね。
―― 20キロも!振り返って、印象的だったことはありますか。
石川
俺は感動したよね、本当に。そもそもサハラ砂漠ツアーを始めたのは、ずっと1人で砂漠を歩いて人生が変わるほどの感動やつらい思いも体験してきた中で、何度もこの気持ちを誰かと共有したい、1人で味わうのはもったいないと思ったから。月が地平線から上がるとか、全く音のない砂漠にいる感覚とか、そういう場所で食べるご飯のおいしさとか。うまいよなって誰かに話しかけたいし、共有したいという思いがずっとあったんですよね。
特に今回は、すでに関係性のできているチームでの参加だったから、自分もその輪に入れたら仲間と一緒に旅をしている感覚になれるんじゃないかと期待していて。それが本当に実現できたので、とにかく楽しくて、とにかく感動しましたね。実は俺が誰よりも充実していたのかもしれない。
シンクロメンバーと旅の中で話してお互いを理解していくと、どんどん関係性のパイプが太くなるから、それに伴って感動を共有するエネルギーがどんどん確実なものになっていくんです。だから、みんなが感動して喜んでいると、その喜びがパイプを通じて俺にも伝わって、すごく嬉しくなりましたね。
原
あまりにも感動して言葉を失う場面が多かったのですが、言葉がなくても通じ合えるという感覚がありましたね。
石川
そうですよね。それはおそらく僕だけじゃなく、現地のガイドやラクダ使いのみんなも感じていたと思います。旅程は5日間だったけど、一体感とともにみんながかなり深いところまで繋がって理解し合えていましたね。
“旅初心者”の2人の変化
―― 原さんと久保さんの2人は、砂漠という過酷な場所を歩いてみて、何を感じましたか。
原
過酷な場所だったけれど、みんなすぐにそれを受け入れて馴染んでいた感じがしましたね。
久保
そうですね。僕はふだん歩かないし運動もしないので、初日は付いていくのに必死で、明日から大丈夫かなと不安に思っていました。でも、実際に2日目になってみると、普通に付いていけるようになっていて。ゾーンのようなものに入れたのか、本当に不思議な体験でした。帰国したら急に足が痛くなって、2週間ほど尾を引いたんですよ。だから、ますます不思議だなと思いましたね。
石川
隼人くん(久保のこと)は、精神的にも肉体的にも馴染むスピードが速かったよね。普段使わない身体でも精神と細胞の変化が連動するとこうなるんだというのを目の当たりにして、人間ってすごいなと本当に驚かされました。
モンジー(※)は、砂漠文化の吸収率と感動の仕方がすごかったよね。今回の旅を一番価値のあるものにしたのは、モンジーが一番なんじゃないかな。いい旅だったよね、本当に。
※モンジー・・・原のこと。ナサールさんというラクダ使いが原につけたあだな。「俺の昔の友人でよく笑ってる奴に似ていて、そいつがモンジーだった」とのこと。
久保
良かったですね。
原
最高でした。
サハラ旅から生還。旅のあとに感じた変化とは
石川
他に今回驚いたのは、全員が俺よりも早起きして、朝日を見に行ったりしながら自分の時間を楽しんでいたこと。俺も夜明け前には起きるのに、俺が起きたときにはもうテントに誰もいないんですよ。夜明け前のあの時間を大事にできるというのは、素晴らしいよね。一人ひとりが砂漠を旅するのに十分な判断力と行動力を持っていたから、引率しているというよりも友だちと一緒にいるような、深い関係性が築けたと思いますね。
久保
関係性が変わって、より精神的に近くなったという感覚は、僕もありますね。もう仁さんのことは勝手に兄貴だと思っていますし、原さんのことは、勝手に心の中で「モンジー」と呼ぶようになりました(笑)
石川
シンクロメンバー内での関係性も変わったの?
久保
僕はそう感じています。みんなそれぞれ別の仕事をしているのですが、他の人の様子がより気になるようになったというか。
あと、西井さんとの距離が近くなったという感覚もすごくあります。西井さんとは仕事を通じて知り合ったので、プライベートで仲良くなってもずっと「西井さん」という感覚が抜けなかったんです。でもサハラ砂漠を経て、プライベートの場では「トシさん」と呼ぶようになりましたね。
石川
モンジーはどう?
原
関係性がそんなに変わった感覚はないのですが、何もない砂漠にいると、その人の価値観が見えてくるなと思いました。自分にすごく向き合っている人もいれば、ありのままを受け入れる人もいるし、私自身もありのままの環境に馴染める特性があるなという気づきがありました。改めて、自分でもそういう環境変化をつくらないといけないなと思いましたね。それで、早速5月にニュージーランドに行くことにしたんです、1歳と6歳の子どもと一緒に。
石川
えっ、本当。
原
そうなんです。やっぱり旅をしなきゃ損だなと思って、帰国してすぐに決めました。
石川
へえ、いいね。
一つの集大成となる旅へ。砂漠で繋がった関係を広げていきたい
―― 仁さんは、今後どのような活動をされていく予定ですか?
石川
現在は葦船での学術調査プロジェクト「EXPEDITION AMANA」をサンフランシスコ・ベイエリアで進めています。アメリカ先住民がポリネシア人よりも数千年前にカリフォルニアからハワイに葦船で海を渡っていたと仮説を立て、民族移動の新しい海洋ルートを実際に葦船で航海できるかどうかを検証します。
2024年7月から野球場くらいの広さから4,000束の葦の刈り取りを予定しています。2025年2月から18メートルの葦船の建設をはじめ、5月に出航の予定です。
このプロジェクトには僕の全てをかけています。葦船の航海とは人間と自然とがつながる最古の知恵です。自然との関わり合いをこの航海を通して皆さんとシェアできることが僕らの目的です。このプロジェクトを通して人間としてひと回りもふた回りも成長していきたいですね。
*葦船の学術調査プロジェクト「EXPEDITION AMANA」
ハワイに向かうときには、緊急用にコンパスやGPSは持っていくものの、基本的には何も航海機器を使わずに航海ができるかどうかを検証してみたいですね。
つまり人間の感覚を研ぎ澄ますことで島を探すことができるかを調査します。人間や動物が本来持っている野生的な感覚で自然のサインを読み解きながら、それに従って行動できるかどうかということが今回のテーマなんです。
そもそも、僕が葦船で航海することの目的は、昔の人たちから知恵を学ぶこと。昔の人たちは、今よりも深く自然と繋がっている感覚を持っていたのではないかと思います。現代人はどんどん自然から離れていっていますが、自然と向き合える感覚を持たなければ、これから自然環境をどう扱っていいのかがわからなくなってしまう。だから、現代人も自然と繋がる感覚を大事にする未来に希望があると信じています。
僕はこれまでの活動の一つの集大成として、海の中で自分と対峙し、仲間たちとともに自然の言葉をどれだけ取り入れて航海をしていくかということに挑戦したいと考えています。
―― すごい計画ですね!仁さんにとってまた大きな挑戦が始まるんですね。新しい挑戦も応援しています!シンクロのメンバーからは、サハラ砂漠を1カ月や半年かけて歩くツアーをまたやりたいという話も上がっています。
石川
またやりたいよね。あと、みんなでイースター島に行きたいな。
原
行きたいですね。
石川
観光ではたどりつけない、本当のイースター島を感じでもらいたいよ。
久保
すごい、最高っすね。
石川
チチカカ湖を葦船で周るっていうのもいいね。みんな折角こうやって仲間になれたから、みんなで旅というより冒険や探検としていろいろなところに行けたらいいな。砂漠で繋がった関係が広がっていくことも、これからすごく楽しみなんだよね。
(以上)
石川仁さんプロフィール
1967年生まれ。23歳の時にサハラ砂漠を単独でラクダと半年間歩いたことが人生の転機となる。
その後アラスカ、南米ジャングル、アンデス、チチカカ湖で極地の単独で自然と対峙し、先住民と学びながら暮らす。探検家キティン・ムニョスを師とし葦船で太平洋、大西洋をクルーとして製作、航海。自然に委ねる航海術に魅せられる。日本初の葦船外洋航海では自ら製作指揮・船長を務め、カムナ号により高知県から伊豆諸島までをゆく。
現在はサンフランシスコからハワイを目指す葦船航海を準備中。
石川仁ホームページ https://www.jinishikawa.com/
葦船協会 Reed Boat Association http://kamuna.net/
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