衝撃を受けたシンクロの働き方。仕事の概念が変わった瞬間
萩原:
カタール滞在中は、どのように過ごしていましたか。
北澤:
僕たちはシンクロハウスに無料で泊まらせてもらう代わりに、家事などを引き受けることになっていたので、基本的に午前中は洗濯やご飯の用意をして、午後は自分の卒論やインターンのミーティングに取り組んでいました。そして、夕方か夜から試合を見に出かけていました。
でも、シンクロの皆さんはカタール現地時間の朝3時(※日本の朝9時)から起きていて、現地夜10時からの遅い時間帯の試合に行ったあとなんかは、1時間くらい仮眠して仕事を始めていました。僕が朝8時や9時に起きると、何食わぬ顔をしてパソコンに向かいながら、すでに何件も打合せをこなしていて、マジか、と(笑) 本当に驚きでした。
萩原:
サッカーを最優先しつつ、日本の仕事もフルでやってましたからね。
近藤:
僕も北澤と同じようにシンクロハウスの家事をしながら、卒論や勉強、読書、あとはオンラインの家庭教師のバイトもたまにやっていました。僕は寝るのが遅かったので、夜中の仕事は僕、朝の仕事は北澤という形で、家事はなんとなく手分けしていましたね。
萩原:
現地では何試合くらい見たんですか?
北澤:
最終的に20試合は行きました。
萩原:
すごい!
北澤:
でも、シンクロの皆さんも仕事をしながらそれをやっていましたよね(笑)
萩原:
西井は、北澤くんや近藤くんがリモートでインターンや家庭教師のバイトをしているのを見て、「時代だな」と驚いていましたよ。
近藤:
そうなんです。僕もカタール行きを見越して、カタールでも日中は時間があるだろうからと、オンラインでできる家庭教師のバイトを選びました。日本の放課後にあたる時間がちょうどカタールの朝10時くらいで、試合と重なることなくバイトができて良かったですね。チケット代の足しくらいにはなったかなと思います。
萩原:
持田くんはカタールではどんな生活をしていましたか?
持田:
僕も、バイトや部活、寮などのオンラインミーティングにときどき参加していましたね。日本代表が勝って盛り上がっていたので、僕が現地からミーティングに出たらより盛り上がるのではないかと思って参加していた節もあります(笑)
シンクロの皆さんを見て、旅をしながら仕事をする会社があるんだということに衝撃を受けました。ワークライフバランスという言葉もありますが、一般的にはなんだかんだワークという軸の上にライフがあるように感じていたところを、シンクロではこんなにもライフがメインにあり、その上に仕事があるのだなと思いました。皆さんが本当に毎日楽しそうに過ごされていたことも印象深いですね。
萩原:
やりたいことを諦めないという感じですよね。「ワールドカップを現地で見たい」、「旅をしたい」という思いをまずやると決めて、そこに仕事を組み込んでいくみたいなところはあると思います。大人の本気遊びですよね。
持田:
そうですね。どこまでできるかという本気を感じました。
萩原:
カタールでは、車いすで生活する上での不便さもあったのでは思いますが、どのように感じましたか。
持田:
実は、メトロの移動もスタジアムの中もサポートが徹底されていて、驚くほどアクセシビリティが良かったんです。少し困ったことがあっても、ヨモハウス・シンクロハウスの皆さんを含め、世界中の人がどこに行っても手伝うよと声を掛けてくれました。それに救われましたし、自分自身も勇気をもらったと感じます。
萩原:
車いすを押して移動すると小さな段差に気づいたりして、半分当事者になってみて初めて分かることがあるのだなと思いました。それが僕らとしても良い経験になりましたよね。
近藤:
本当に。車いすの人と生活することがあまりなかったので、その困難さも分かりましたし、どこまで手伝った方がいいのか、手伝いすぎるのも変だしなと悩んだりもしました。
北澤:
その経験を通して、普段から何気なく通っているこの道はバリアフリーの観点だとどうなのだろう、と考えるきっかけにもなりましたね。
持田:
僕も皆さんに助けていただいて、すごく充実した時間にすることができました。今は国籍や障がいも含めて「共生社会」と言われるようになってきていますが、僕はその前に重要なのが「共有社会」だと思っています。その中で、同じ時間や行動を共有できたことがすごく嬉しいと思いますし、ワールドカップを通して世界中の人と同じ場所で同じ興奮を共有できたことも、すごく幸せだったなと思っています。
萩原:
それが旅の醍醐味ですよね。さらに持田くんは、国歌斉唱で吉田麻也選手と並んでピッチに立ったのがニュースになりましたよね。
持田:
今思えば、まさかまさかの出来事でした。