“マーケティングと事業支援”を軸に、旅アイテムの開発・販売や宿泊施設のサポート、さらにはアーティストや国際医療NGOの活動支援までを手がける株式会社シンクロ。まさに「旅」のように自由自在に事業を渡り歩くシンクロは、どのように成り立っているのか?
このシリーズでは、シンクロメンバーに「旅」をテーマに話を聞き、それぞれの個性や会社の特徴について深掘りしていこうと思います。
Column
コラム
現代の遊牧民(!?)が実践する「『こだわりを捨てること』へのこだわり」/「旅と働く」シリーズvol.06 國延 亮輔
全ての始まりは中学時代
——さてこのシリーズ6人目となる今回は、マーケティングディレクター國延さんです。よろしくお願いします。
去年の夏にはSNS講習会で講師をする姿がテレビに放映されるなど、マーケティングのプロとして着実なキャリアを歩んできたかと思いきや、意外な経歴だとお聞きしておりますが、その辺りから伺ってもよろしいでしょうか。
國延 はい、実は全くマーケティング一筋というわけではなく、いわゆる何でも屋さんだったんですよね。
——何でも屋さんですか?(笑)
國延 経歴としては、1社目のWEB広告会社でデジタルマーケティングや子会社の立ち上げ業務をしながら、副業的に個人でインスタグラムのフォロワー20万人程度の旅行メディア立ち上げ・運営業務をやっていました。
——新卒からいきなり副業をするだけでも大変なのに、結果を出せるのがすごい。早熟ですね。
國延 ありがとうございます。
その後、食品系のスタートアップに転職して、プロダクトマネージャー、カスタマーサポート、採用などの文字通り「何でも屋」を経て、「やっぱりマーケティングを極めたい」という想いに至り、シンクロに入社したという流れです。
——唐突な「何でも屋」への転身(笑)詳しいご経歴に関しては、以前の記事にも書いてありますが(「代理店とスタートアップを経験し、20代最後の年にシンクロへ入社を決めた理由」https://thinqlo.co.jp/column/10913/)、業務内容が多様で、まるで旅をするような働き方ですね。
ちなみに新しい仕事や環境に飛び込むことに対する恐怖心はどう克服しているのでしょうか?
國延 環境や考え方を大きく変えることが好きなので、むしろ積極的に飛び込んでいきますね。なので生活拠点も定期的に変えていたりします。
——バックパッカーみたいですね(笑)
國延 旅の経験は浅いですが…(笑)
——そのように新しい環境を求めて放浪するスタイルはいつ確立されたのでしょうか?
國延 それは中学時代に受験に失敗したからですね。
——???
國延 ぼくは子供の頃からかなり頑固でこだわりが強いタイプで、中学1年生の時にはすでに行きたい高校が決まっていたんですよ。
なのでぼくの中学生活は、その高校に合格するために全てを捧げていて、受験前には「おれには受かる以外の未来が見えない」とか言えるくらいまで仕上がっていました(笑)
——思春期の子にありがちな謎の自信ですね(笑)
國延 そう、でもそんな状態で受験に失敗してしまい、めちゃくちゃショックを受けて。
期待してもらっていたこともあり、親に「ごめんなさい」って号泣しながら土下座していたらしいです(笑)
——それはでも大きな挫折ですね…。
國延 受験の失敗は今でもはっきり思い出せるくらい記憶に残ってます。
でもその時ショックを受けすぎて「どれだけ頑張ってもダメな時はダメなんだな。だとしたらその時自分が面白いと思えるチャレンジをしよう!」と逆に振り切れたんですよね。
——そこでそんな発想の転換ができるなんて…やはり早熟です。
國延 後から思い返すと、自分にとってはかけがえのない経験になりました。
その後も高校1年生の時に行きたい大学が決まっていたので、そこに行くことだけを頑張っていたのですが、受験間際に「全然知らない土地に行っても面白いかも」と思い立ち、大阪から飛んで北海道の大学に入りました。

——いきなりの大転換(笑)
國延 あまりにも急だったので、今度は親が泣いていましたね(笑)
——それは思ってもみなかったのでしょうね。
國延 そうでしょうね、ぼく自身も思っても見なかったので(笑)
でも結果的にこの選択のおかげで、全く想像できなかった経験や世界が広がっていったんですよ。
その経験がいちいち楽しくて「もっと新しい環境に飛び込みたい!」って、ドーパミンを欲する身体にチューニングされていきました。
なのでそれ以降は、仕事選びも生活拠点も、新しい環境に飛び込むことへの躊躇がなくなったんですよね。
——それが何でも屋の転身にも繋がっているわけですね。ちなみに生活拠点で言うと、北海道の後はどこに行ったのでしょうか?
國延 大学2年生のときに短期留学で、アメリカに行きました。大学の時は国家公務員などの行政の仕事を目指していたのですが、この留学中にアメリカでの事業アイディアを考える授業を受けました。
その時の世の中の課題に対して解決策を考えていく手触り感が楽しくて、このタイミングで思いっきりベンチャー企業に舵を切って…そして今に至ります。
——ジェットコースターですね(笑)
WeChatで広がったのは、人だかり
——ここからは旅のお話を聞いていこうと思うのですが、先ほどアメリカに短期留学に行っていたとおっしゃっていましたが、他にどんな国を旅してきましたか?
國延 行った国数としては多くないですが、国ごとにとても濃い経験をしてきたなとは思っています。
例えば社会人になって中国の深センに行った時の話なのですが、その当時、日本より先に中国が先進的なQRコード決済やってると聞いて、実際に試してみたいと思って現地に行ったんですよね。
早速アプリを入れてタピオカ屋で使おうとしたのですが、日本人はWebで入金できず、まず現金で支払って、そのお釣りを店員さんに入金してもらう必要があって、すぐ使えなかったんですよ。
なので、その会計で「お釣りをこのアプリに入金してください!」と説明したのですが、Google翻訳を使っても全然通じなくて。
中国語も分からなかったので、とにかく1時間身振り手振りで格闘してて、ふと周りを見渡したらめちゃくちゃ人だかりができていて(笑)
結局、同年代の現地の方が助けてくれてようやく入金できましたが「何でそんなことすんの?現金で払えるじゃん?」みたいに苦笑されましたね(笑)
でも結果的に、その方とはその後も連絡を取り合う仲になっていますね。

——中学期のこだわりの強さはまだ健在(笑)
それにしても旅先でも積極的にコミュニケーションを図るのですね。
國延 はい、ぼくは出来るだけ現地で友達を作るようにしています。
ぼくは言葉が通じない不便さよりも、その場所特有の雰囲気や空気感にどっぷり触れた時に感じる「何これ!楽しい!」を味わいたいと思っていて。
でも、そういうのは生活とか日常から滲み出てくるものなので、出来るだけ現地の人と話して現地の生活に馴染んでいきたいのですよね。
——日本でも地域によって異なる「地元ルール」も存在していますよね。
國延 そうですよね。自分のルール外のことが起きて、冷や汗をかく経験の方が心に残るものなので、むしろその部分を楽しみにしていますよね。
——それは、中学時代から培った「失敗してもいい」マインドであるとと同時に旅人マインドとも近い気がしますね。

移住を通して気付いた「個」の力
——ここからは最近のお話を聞いていこうと思うのですが、今年の夏頃に移住したと伺いましたが、きっかけなどはあったのでしょうか。
國延 昨年の8月に福岡に移住したのですが、そもそも妻の出身が九州だったことと、近年の福岡は国際化が進んでいたり、起業家が増えていたりと面白そうで、実際に見てみたいと思って移住しました。
——北海道の大学に行った時の考えと近いですね。今回もやはり不安は感じていなかったのでしょうか?
國延 そうですね。仕事上は全く問題はありません。そもそもシンクロメンバーは「東京に家あるのに、東京にはいない」みたいな人たちなので(笑)
生活面に関しては、繋がりゼロなのでまずは友達を作るところからスタートですね。
——海外旅の時と同じ流れですね(笑)
ちなみに移住してから何か気づいたこと、國延さんが言うところの「新しい価値観」に触れたことはありましたか?
國延 それで言うと自立の重要性ですね。
シンクロは別として、都会で働いていた時は、同僚や上司が同じオフィスで働いていて「集団の中で生きている」感覚だったのですが、今は自分の意思で連絡しないと人と繋がれないし、自分で意思を持ってスケジュールを組んでいかないと目的を達成できないんですよね。
これまでは流れに身を任せていれば、なんとかなっていたんだなと気付かされました。
だからこそ今は人脈をどう作って、自分をどうアピールしていけばいいかをすごく考えるようになりました。
——「都会の人は孤独だ」のように言われることもありますが、すごい納得のいくお話ですね。でも今のお話で言うと、シンクロは皆さんで顔を合わせる機会が多いわけじゃないのに、チーム感があるのはなぜなのでしょうか?
國延 シンクロって不思議ですよね。
おっしゃる通りチームっぽさもあるんですけど、個々は完全に自立しているんですよ。
例えば前職とかだと、何人かのチームで一つのプロジェクトを回していましたが、シンクロでは、それぞれがプロジェクトを作って進めているので、一般的なチームとしての働き方はほとんどないんですよね。
でも一方でそれぞれのやっていることはオープンにしているので、ピンチの時には絶対助けてくれるしアドバイスもくれます。
個々のプロジェクトベースで見ると第三者だから、俯瞰視点で観察してくれて、でも一つのチームとして見ると同僚だから、より主観的に助け合っている。
その二つの距離感が絶妙で、結果的にチーム感を生んでいるような気がします。
——近すぎず遠すぎずの距離感で保っているチーム。すごい面白いですね。
國延 仕事上で話す機会も限られるから、合宿とかで集まると飽きもせずにずっと喋ってるし、そもそも対面で会うのは、飲み会か旅行の時ですからね(笑)
——そんな会社あるんですね(笑)
現代の遊牧民が描く未来とは
——最後に今後の目標をお聞かせください。
國延 言葉を選ばず言うと、社内外にアピール出来るような看板になるプロダクトを作りたいですね。
実は今、D2Cの新規事業をやっているので、まずはそこでしっかりと結果を出していきたいです。
あとは自分の専門として「SNSマーケティング」と「データ分析」を掛け合わせて再現性を持って成果を上げられるような日本一と言える実績も作っていきたいので、自社事業だけじゃなくて、事業支援でも実績を上げていきたいです。
その上で、最終目標はマーケティングの業界トップランナーとして、リードできるような存在になることです。
生活に関しては、福岡に移住してまだ4ヶ月なので、まずは九州の離島も含めて全制覇するところから始めて、いずれは海外に移住したいですね。
——その点、シンクロには参考になる方々ばかりですね。
國延 そうなんですよ(笑)なので公私共に、先輩の背中を追いかけながら、自分ならではの移住スタイルを見つけていきたいなと思います。
——これが現代の遊牧民スタイルか…。

インタビュー冒頭「ぼくは強いエピソードを持っていないので…」と恐縮していた國延さん。しかしいざ蓋を開けてみると個性的なエピソードの連続で、内容の取捨選択が最も難しい回となりました(笑)
また、訪問国数が他メンバーに比べて少ないことに言及した際には、同席していた植嶋さんに「でも新婚旅行で国数が増えたので」と間髪入れずにアピールする姿が微笑ましかったです。
さて次回はどんな個性的なメンバーがやってくるのでしょうか、楽しみにしています。
(writer:越野和馬)
【プロフィール】

マーケティングディレクター 國延 亮輔
2016年に新卒でFringe81(現Unipos株式会社)に入社。Web広告全般の運用に携わった後、西日本向けの広告事業を行う子会社の立ち上げに参画し、子会社取締役に就任。
2021年からは食品D2C事業を行うスタートアップにシード期からジョイン。toC向けのマーケティング、PdM、CSなどを兼務し初期のグロースを経験。
2023年シンクロに入社。古民家宿のマーケティング戦略策定・戦術の落とし込み、PR・SNSの企画を担当。
また、大手企業にてPRとSNSを連携させ、UGC創出などによる話題化を図るプロジェクトの推進を兼務。
個人では、過去に旅行系インスタメディアを立ち上げ、20万フォロワーを達成。
1994年生まれ。北海道大学経済学部卒業。
「旅と働く」シリーズ
vol.01 “旅ノルマ”で毎月旅へ。“好奇心と人”でどこまでも行ける(植嶋)
https://thinqlo.co.jp/column/13548/
vol.02 動じないその姿はまるで仙人!“肌感覚”でつかむ自由とこだわり(齊藤)
https://thinqlo.co.jp/column/13674/
vol.03 “楽しい”ことへの飽くなき探究者(松谷)
https://thinqlo.co.jp/column/13724/
vol.04 彼はサハラ砂漠で旅人になった(原)
https://thinqlo.co.jp/column/13766/
vol.05 新卒2年間で40カ国旅をして見つけたこととは(萩原)
https://thinqlo.co.jp/column/13942/
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